“人間ってみんな自分の中に「何か」を持っているでしょ。それはなんらかの表現方法を通して具現化しないと他人には伝わらない。伝わらないと理解してもらえない。それどころか、表現方法というフィルターを通さないと、自分自身でさえそれが何なのか意識的に理解できなかったりするんだよね。
誰かに自分のことを伝えたい、誰かに理解して欲しい、自分自身、今、自分の中に在るものを理解したい、というのは、誰もが持つ自然な衝動です。
だから、その「自分の中の何か」を巧く(ああ、これなんだよ!という感じで)表現しうる方法とかツールを手に入れられたら、とても幸せだと思う。
自分を表現するツールとしてはたとえば、
* 話し言葉(表情とか含む)
* 書き言葉(散文)
* 短歌・俳句、詩、コピーのような言葉、韻文
* 写真
* 絵
* デザイン、意匠
* 楽器
* 声
* 体(踊り、体操的なもの、いろいろ)
* プログラム
* 映像
* 料理
* 創造物(建造物、モノ、現代アートみたいなもの含む)
* 働き方(?)
* ビジネスとか、結構いろいろあるんだよね。
当然だけど、表現方法の幅よりも、人間の心の中にあるものは圧倒的に多彩で多様だ。だから、それを100%表現するのは多分誰にとっても不可能。だけれども、出来る限りそれらを具現化できることは、疎外感という不幸を減じる大きな力になる。
なので、そのツールとなりうるものの選択肢は、できるだけ早く体験できるよう、小学校の早い時期とかに触れる機会があればいい、と思った。
それと、その過程において「表現方法を探す」ということを明示的に目的として認識できたら生産的かもと思った。
言葉で表現できない感情を抱える(認識する)というのは、「誰も俺をわかってくれない!」わけでも、「コミニケーション能力が低い」わけでもなく、自分に最適な表現ツールをまだ手に入れてない(出会っていない)だけだと。そう理解するのもアリなんじゃないかと。そして、その“手段を手に入れる”ってのを目的にいろいろ試してみればいい。
”
今もしあなたが、「誰にも伝えられない、わかって貰えないことがある」と感じているとしたら、それはもしかしたら「それを伝える“自分の表現法”とまだ出会っていないから」なのかもしれない。